果てしなく続く青い空 −特別な愛の詩−   act.U




 リナとの出会いは公認バンドと非公認バンドの対バンの時だった。
 割れた爪を唯一心配し、声を掛けてくれたのがリナだった。 シビュラ社会に於いて人々は自分の色相が濁ることを恐れ、他人に必要以上に関心を示さず過剰な干渉は避ける。 けれど彼女は躊躇なく弥生の心に踏み込んできた。今後同じように爪が割れないようにとマニキュアを施してもくれた。
 そんなリナに弥生はただ見惚れていた。
 好みのタイプだったから、とかそんな単純な理由だけではない。 だが漠然とし過ぎていてその時は何故惹かれるのか分からなかった。
 同じバンド仲間は「非公認と連むと色相が濁る。どうせ非公認がやっている音楽なんてろくでもない」 とリナを相手にもせず、すでに出番が終了している弥生に帰ろうと促してきた。
 だが彼女がどんな歌を唄うのか凄く興味があり、聴きたい衝動を抑え切れなかった弥生は仲間の制止を振り切った。 仲間は結局それ以上弥生に干渉することを恐れ一人帰っていった。
 その当のリナの歌はと言うと想像以上に衝撃的だった。
 小さな体から発せられる力強い歌声は弥生の心を激しく振るわせた。リナの魂の叫びが弥生の耳を通じ心へと響き渡る。 曲全体では技術的なことを言うと手落ちもあるが、それをも凌駕してしまう程だった。
 かつてシビュラが統治する以前の音源では似たような衝撃を受けたこともあったが、 今回はライブと相まって臨場感や迫力が増しより強力なインパクトを刻み付けられた。
 今まであたしがやってきた音楽とは何だったのか。弥生はそうまで思い、音楽の概念自体を覆された瞬間であった。
 そしてステージで歌うリナを見て、何故彼女に惹かれたのかを理解した。
 輝きだ。
 ステージで唄うリナは躍動感に溢れ太陽のように眩しく輝いていた。 ステージに上がる前から彼女はその輝きを放ち、その光に弥生は惹かれたのだ。
 シビュラ社会に於いて人々から失われてしまったものを非公認アーティストである彼女は持っていた。 シビュラシステムによる職業適正診断に従わず、自らの意志のみで唄うことを選んだ。彼女のその強い意志が輝きを生み出しているのであろう。反骨精神を持ち合わせた彼女は正しくロックンローラーであった。
「どうだった?」
 熱気で額に汗を浮かべまだ興奮冷めやらぬ様子のリナはステージの袖で見ていた弥生に弾んだ声で問いかけた。 その瞳は自信に満ちている。
「すごい。すごかったわ!」
 余りの衝撃に陳腐な言葉しか思い付かなかった。上手く感動を伝えることが出来なくてもどかしい。
「ホントに?」
 言葉に出来ない分、力強く頷いて返した。
 照れたようにはにかんで微笑んだリナに、弥生は追討ちをかけるように胸を打たれた。
 リナは弥生の右手を取ると、先程マニキュアを施した指を見つめた。リナの手は熱気の余韻で温かい。
「ねえ、今度、私のライブに出てよ。あなたのギターに合わせて唄ってみたいの。『アマルガム』の六合塚弥生さん」
 その誘いから弥生はリナがボーカル兼ギターのバンド『プロフェシー』の助っ人としてギターを弾くようになった。
 体の関係を持つようになったのも、それから程なくしてだった。
 その日も『プロフェシー』での助っ人をした後リナが声を掛けてきた。
「私の部屋、ここから近いから寄っていかない?二人だけで打ち上げをしようよ」
 弥生は助っ人として演奏した後、メンバーの一員でもない上に更には無用な付き合いは避けるタイプだったので打ち上げには参加せず早々に引き上げていた。
「主役が打ち上げに出ず帰ってもいいの?」
 周りは撤収作業を行いながら、一方では打ち上げの準備に取り掛かっている。 すでに酒を片手に片付けを行っている者もいた。
「いーのいーの。あいつらただ騒ぎたいだけだから。私がいようがいまいが関係ないの」
 誘われるままにリナの部屋を訪れた。そうなる確信と言ってもいいくらいの予感を胸に抱きながら。
 予め「散らかっているけど」と本人も断ってはいたが、本、レコード、服、ぬいぐるみや小物に雑貨類が収納仕切られずに床に積み上げられていた。
 整理された部屋とは言い難いが乱雑に散らかっているという風でもなく、ただ物がありすぎて溢れているのだ。
 とてもリナらしい部屋だった。小さな体にあり余る感情と豊富な知識が詰め込まれているリナによく似ている。 これは後で知ったことだがリナは「まやかし」や「偽者」と言ってホロを嫌い、部屋の内装や服も全て実在するものしか使わなかった。
 部屋に入るなり、どちらともなく唇を重ねた。
 そして少し窮屈に感じるシングルベッドで陽が昇るまでお互いの体を貪り合い続けた。
 こうしてライブで助っ人をした後は、いつもその日の会場から近い方の部屋で体を重ね合った。
 けれども弥生は、それ以外ではリナの部屋を訪れることはしなかった。 いつでも空いた時間に見られるメッセージを送る以外の通信手段も使わなかった。
 非公認バンドは「シビュラに公認されていない」というだけで避けられ公に宣伝されることもなく、 そのため本業としてやって行くには不可能だった。 非公認でも人気がある方の『プロフェシー』であってもだ。 出演させてもらえる会場も場末の小さなライブハウスくらいしかない。 弥生とてリナとの接点を持つことがなければ、いくら彼女が素晴らしい歌を唄っていたとしても一生『プロフェシー』の音楽を耳にすることはなかったであろう。 聴くことがなければその素晴らしさは伝わらない。そしてそれはこの世に存在しないことと同じだ。
 音楽だけでは生活していけないリナは他にも仕事をし、そちらを副業と呼んでいた。
 本業と副業の二足の草鞋を穿くリナは多忙であり、弥生の公認アーティストとしての活動も定時の仕事ではないためお互いの時間を合わせることが困難で連絡を取り難かった。
 時間が合わないから自分からリナに会いに行かないということもあったが、最大の理由はそれではない。 忙しい合間を縫ってリナが曲作りに没頭している時間を邪魔したくないことが一番だった。
 以前に一度だけ通信手段で弥生から不意に連絡を取ったことがあったかもしれない。
「急用?そうじゃなかったら後にしてくれない。今、無理。曲作ってていい感じのとこなんだ」
 確かそのような言われ方をされて、あっさりと通信を切断されたはずだ。
 曲作り。
 無の状態からひとつの音楽を創造していく。それがいかに容易でない作業か弥生にも想像は付く。 ただ与えられた譜面を演奏するのとは大違いだ。
 言葉を紡ぎ、旋律を生み出し、そして唄う。その全てを自らの手で行うからこそリナの歌はより人の心に響くのであろう。
 弥生がリナの部屋を訪れない代わりに、彼女の方からは入り浸るように来ていた。
 仕事から戻るとリナがすでに部屋で音楽を聴きながら待っていることも度々あった。 その時当たり前のように極自然にリナは「おかえり」と声を掛ける。まるで端からここの住人であるかのように。 そして朝まで一緒に過ごし弥生の部屋から仕事へ向かった。
 ただそんなリナも一旦曲作りに取り組み始めると、ある日唐突に一週間程姿を現さなくなり連絡すら来なくなる。
 そんな時は寂しい気持ちを紛らわせる為もあるが、弥生はギターの練習に身を入れた。
 リナの歌に引けを取るような演奏はしたくない。情感に溢れたリナの歌には、それに応えるだけの情熱が必要になる。 気を抜けばリナの歌に演奏者とて呑まれてしまうのだ。
 ライブとは闘いでもある。
 それはリナの歌でギターを演奏してから初めて知ったことだった。
 そのためにももっとギターの技術を磨いておきたかった。 自分のバンドである『アマルガム』のためではなく、リナの歌に負けないためと動機が些か不純のようでもあるがそれが弥生の本心であった。



 厳しい寒さの冬が終わり穏やかな陽射しの春を向かえた頃、重ね着をしていた服が薄くなっていくように弥生の不安も薄れていた。
 上昇し続けていた犯罪係数は高めながらも安定しサイコ=パス検診を無事クリア出来ていた。案外、リナの言う通り気にし過ぎるのもよくないのかもしれない。
 弥生は『アムルガム』のギタリストとして活動しながら、時折『プロフェシー』の助っ人としてライブに出演し、 部屋にはリナがいる、という日常を過ごしていた。 それは実に充実している日々であった。
 その日、いつもは『プロフェシー』の助っ人として出演する際には弥生の部屋でお互いのマニキュアを塗り合い衣装を選んだりしてからリナと一緒に会場へ向かうのだが、 仕事である『アマルガム』の活動が予定時刻より押してしまい急遽一人で向かった。
 念のため仕事の合間に「遅れる可能性もある」とメッセージを送っておいたが、早急に車を飛ばしギリギリ音合わせにも間に合うことが出来た。
 ステージの袖に着くと、そこにはまだリナの姿はなく他の『プロフェシー』のメンバーだけがいた。各々、楽器を触り準備に取り掛かっている。
 弥生は他のメンバーとは親しくはしていない。むしろ碌に口を利いたことすらないくらいだった。
 “余所者”という雰囲気を感じていたし、実際弥生自身もそう思っていた。所詮はただの助っ人でしかない。
 長年愛用のギターをケースから取り出し、弥生も準備に取り掛かっていると煙草の煙が漂ってきて不意に吸い込んでしまい咽そうになった。 ドラムの男が壁にもたれ掛かりながら煙草を吹かしている。
 煙草は好きではない。体に害があると言われているし、煙が髪や服に付着するとなかなかその匂いが落ちない。 そんなただ煙いだけの物をわざわざ代価を支払ってまで吸う人の気持ちが理解できなかった。
 そして同様にこのドラム男にも好感を抱けなかった。リナが傍にいていようが平気で煙草を吸い煙を吐き出す。 歌唄いの喉のことも考えない神経がいけ好かなかった。
 視線を感じたのかドラム男がこちらを向き目が合った。弥生はすぐに視線を自分のギターに移す。
「あんた、スゲーな」
 ドラム男が声を掛けてきたが特に会話をする気もなかったので、ギターを構えると軽く指慣らしに弾いた。 この男の声よりもギターの音色を聴いていた方が気分が落ち着く。
「やっぱスゲー」
 感嘆の声を上げるドラム男の口からは相変わらず紫煙が吐き出されている。
 ほんの僅かに音がずれていたのでペグを巻いてチューニングをする。
「そんなスゲー公認ギタリストさんが助っ人をしてくれるお陰で、めっきり客入りがよくなたってもんだよ」
 リナの歌がひとりでも多くの耳に届けられるのは弥生にとっても喜ばしいことだった。
「しかしリナも上手いことやったってもんだな」
 ギターからドラム男に目を遣った。煙草をくわえた口元だけを歪ませて笑い、それが妙に不快感を与えた。
「公認アーティストとのゴシップを利用してバンドの知名度を上げるなんてな。 まぁ非公認だとそれぐらいでもしないと世間に知ってもらえないしな。いやーさすが、公認様様だぜ。ありがてーこった」
 ゴシップ?利用?
 これまで大物女優や有名スポーツ選手との交際で芸能ニュースを騒がせてきた弥生だ。 その恋多き公認アーティストが今度入れあげた相手が非公認アーティスト。 下世話な話題が好物の芸能ニュースが嬉々として取り上げそうなネタである。
 有名人とのスキャンダルで『アマルガム』の知名度が上がったように、今度は『プロフェシー』の名が売れる。
 したいことを思うままに行動してきただけだった弥生には、これまで特段自分が芸能ニュースを騒がせようが全く気に留めてもこなかった。 売名のために誰かと付き合ったつもりは一度もない。付き合いたい、触れ合いたいと思った相手と恋人になってきただけだ。
 どちらかと言うと自分は直情的であり不器用な方で計算高くはないと思っているが、一方のリナはどうなのだろう。 自分とは違い、聡明で器用で世渡り上手だ。
「まぁ、その所為でうちのギタリストはすっかり形無しになっちまったがな」
 ドラム男は最後の紫煙を吐き出すと、煙草を灰皿に押し付けステージへ出て行った。 辺りには煙が充満し澱んだ空気が漂っている。
 自分のバンドであると言うのに『プロフェシー』のギタリストはどうしてライブの出演を辞退し続けているのだろうか。
 ドラム男に言われ、初めて疑問に感じた。
 弥生が助っ人に入ると言うことは『プロフェシー』のギタリストが出演しないことを意味している。 しかも最近、弥生が助っ人で出演する機会が増えている。
 リナは何故自分のギタリストを差し置いてまであたしに助っ人を依頼し続けるのであろうか。
 ゴシップ……。利用……。ドラム男の言葉が頭の中で壊れたオルゴールのようにぐるぐると回る。
 一瞬にして不安に苛まれた。
 あたしはここにいていいのだろうか?いるべき存在なのだろうか? “余所者”がこんなところにいては場違いなのではないのだろうか?
 煙草の煙で澱んでしまった空気のように弥生の心ももやが掛かったように曇っていた。煙るステージの袖でひとりギターを抱え立ち竦む。 ライブ本番を控え音合わせを始めたベース、ドラム、キーボードの音色が聞こえてくる。 弥生にはそれが絶望のBGMのように頭の中で響いていた。
 携帯端末を立ち上げ、普段は全く見ることがない芸能ニュースを調べてみた。
 肉食系ギタリスト六合塚弥生。今度のお相手は非公認アーティスト。
 このような見出しの記事を見付けた。 相手であるリナが有名ではなかったためか記事の扱いは然程大きくはなかったがドラム男の言う通りゴシップ記事になっていた。
 内容はあることないこと好き勝手に書かれており、更には弥生の過去の女性遍歴まで記されている。 実際に付き合ってもいない面識もない人の名まで連ねてあった。
 リナについても触れられていて「非公認バンドをしている」以外に「両親共に潜在犯である」と弥生が知らないことが書かれていた。 その悪影響を受け弥生も潜在犯落ちするのではないかと要らぬ心配まで記事の中でされている。
「お?もう来てたんだ。よかったー。遅れるかもって言ってたからもう焦ったよ。弥生が来るまで唄えないからしゃべりで繋いでおこうかとか考えてたんだから」
 ギターを手にステージ衣装を身に纏った上機嫌なリナが現れたので、慌てて携帯端末の電源を落とした。 今日のリナは白の半袖とホットパンツを穿きノースリーブの膝くらいまで丈がある赤いジャケットを羽織っている。 リナのステージ衣装は白や暖色系が多い。本人の好みもあるのだろうしとても似合う色だと思う。そして逆に弥生は黒や寒色系を好んで着ている。
 ライブがある日リナは朝からテンションが高い。ステージで唄うことが楽しみで仕方がないとばかりに。
 リナに何か言おうと思う。だけど何を話せばいいのか分からず言葉が出ない。
 少しでも厭なことや気に障ることがあればすぐに気持ちが冷め別れを選んできた弥生にとって、 不安と真正面から向き合うことは不慣れであった。
「どしたの?」
 ポーカーフェイスである弥生だがリナはその変化を敏感に察する。ギターを壁に立て掛けると弥生の顔を覗き込んだ。
 このまま有耶無耶で済ませてしまうと、またろくでもない演奏しかできなくなってしまう。
 意を決して重い口を開ける。
「あたしが助っ人でギターを弾いているけど『プロフェシー』の子はどうしてるの?」
「ん、どーゆうこと?」
 眉をひそめリナは質問の意図を推し測ろうとする。
「この頃、助っ人として呼ばれることが増えてるから。ギタリストの子に何かあったのかと思って」
「別に、なんにも。急に何、どうしたの?」
 上機嫌がすっかり影を潜めてしまったリナは、音合わせが行われているステージに顔を向けてから真顔で弥生を見た。
「何か言われたの?」
 答えずにただ黙って俯きギターのネックを握り締めていた。
 弥生の心は不安に苛まれ続け、深い海底で息が出来ずにもがき苦しんでいるようだった。 助けて、リナ。
 深く息を吐いてからリナは言葉を続けた。
「うちのギタリストは正直、技術的にあまりいい腕とは言えないわ」
 初めてリナのステージを見た時、弥生も同じことを思った。 ギターの演奏だけリナの歌に取り残されていることが際立ってしまっていた。
「でもね、あの子は創造する才能には秀でている。本人もそのことをよく理解している」
 それについても共感出来た。『プロフェシー』の曲のギターのアレンジはリナの歌を巧みに引き立てている。
「あの子が作ったアレンジで弥生のギターに乗せて唄いたい。まぁ、これは完全に私の我侭ね。 ねぇ、弥生。あなたは『プロフェシー』で演奏するのが厭なの?」
「そんなことない」
 断じてありえない、と首を横に振るとリナは小さく頷いた。
「あの子も私の我侭を了承してくれている。だから、あなたが気にすることは何もないわ」
 この問題には納得がいった。けれどもまだ確かめなくてはいけないことがある。 むしろそちらが本題であり、更には断然訊きづらい内容だ。上手く話せるだろうかという新たな不安要素まで加味されてしまう。
「ねぇ、リナ」
「なに?」
 深刻そうな弥生を察しとことんまで話し合う気になったのかリナは近くにあったパイプ椅子に腰を掛けた。 背もたれに肩肘を掛け足を組んでリラックスした姿勢でいる。
「あたし達のことゴシップ記事になってるの知ってる?」
 話題が唐突に変わった所為か、はたまた想像もしていなかった事柄だったのかリナはきょとんとしている。
「さー、興味ないし知らないけど。それがどうしたの?」
 弥生は口ごもった。これ以上、どう訊けばいいというのか。
 言葉が続かない弥生に代わりリナが質問を投げかけてくる。
「厭なことでも書かれてた?」
 厭なことと言えばそうかもしれない。正しくはないとしても過去の女性遍歴を晒されて嬉しい訳がない。 更には肉食系ギタリスト、などと不名誉なレッテルも貼られていた。
 だけど弥生を不安にさせているのはそのことではない。
 弥生の口からはまだ何も言葉が出てこない。それを見かねて弥生の心を探るようにリナが話し始める。
「弥生は変態でドスケベだー、とか書かれてた?」
 リナはジョークを飛ばすがとても笑う気にもなれない。
「じゃあ、私のこととか?弥生がどん引きするようなことが書かれてた?」
 無反応な弥生にリナも困惑の色をにじませ始め、ため息を吐く。
「どんなこと書かれてたか知らないけど、そんなことでいちいち騒がれるなんて面倒だね。 他人のプライベートを除き見て何が楽しいんだか。 まぁ弥生はカッコいいしもっと知りたいってファンがいるんだろうな。 でもだからと言ってそんな人のためにプライベート晒されてもねえ。 弥生は公認で有名ギタリストだもんね。有名人だからそーゆうのは仕方がないのか。 ……あー、最近、妙に客入りがいいとは思ってたけど、その影響もあったのか」
 そこまで話すと、リナはふと何かに気付き椅子から勢いよく立ち上がった。
「ちょーっと待って。弥生、もしかして私のこと疑ってる?」
 口を尖らせ不満げな表情をしたリナに問いただされるが、弥生の口からはまだ何も言葉が発せられない。
「なに?なんなの?まさか弥生が有名人だから付き合ったとでも思ってるの? 売名のために私はあんたを助っ人として呼んでゴシップ記事になるために恋人気取りしてると思ってるの?」
 信じられない、と言いたげに目を見開いてリナは一気に捲くし立てた。
「そんなこと……」
 やっとのことで出た言葉で否定しようとした。だが肝心の「ない」の部分が言葉にならなかった。 ドラム男に言われた時、疑念を抱いたことは事実だったから。
 だけれどもリナがそうでないことは初めから弥生にも頭では分かっていた。 分かってはいようがほんの些細な疑念だけで心が不安に晒されてしまったのだ。頭と心が一致しない初めての感覚に弥生自身も戸惑っていた。
「えー!心外だわ。そんな風に思われていたなんて」
 がっくりと肩を落とし、うな垂れながらリナは椅子に再び座った。
「そうじゃないの」
「だったらどうなの?」
 顔を上げ椅子から立つとリナは弥生に詰め寄ってきた。
「じゃあ訊くけど、なんであんたの様子が変だったの?何が本当の原因だったの?どうしてなの?ほーら言ってみな」
 リナは怒っているでもなく、すでに落ち込んでいるでもなく、弥生を追及するこの状況を拗ねながらも愉しんでいるようだった。
 本気で責め立ててこないことに弥生は救われる。
「言えないってことは、どうせ疑ったんでしょ?」
 心を見透かすように瞼を半分閉じ射抜くような瞳でリナは弥生を見た。
「……ごめんなさい。少し、だけ」
「やっぱそうじゃん。もうやだー、嘘でしょ。やめてよー」
 右手で顔を覆い天を仰ぐと、リナは壊れたロボットのようにその体勢で静止した。
 どうせすぐに論破されてしまうことは分かっていたが言い訳をした方がいいのだろうかと思い言葉を捜しているとリナが動き出した。
 顔を下ろすとリナはじっと弥生を見つめた。その眼差しはいつになく真剣でまっすぐに弥生だけを捕らえていた。
「私はね、たとえ弥生が地下でやってる誰にも知られていないギタリストだったとしても今と変わらず好きになっていたわ」
 あぁ、あたしはこの言葉が聞きたくて頭では分かってはいても心がリナのことを疑ってしまったんだ。全てが腑に落ちるように納得した。
 霧が晴れ見通しがよくなったように弥生の心も澄み渡り、自然と口元が緩み笑みが零れていた。
「あー、もう。うだうだしてないで、ほら音合わせ行くよ。本番、始まっちゃうじゃん」
「リナ、待って」
 弥生に背を向けステージへと歩き出したリナを呼び止めた。
「ギター、忘れてる」



「さー、今日もぶっ飛ばして行くよ!」
 ライブ本番直前リナはメンバーに発破を掛ける。それは自分自身を鼓舞するようでもあった。
 すでに会場は『プロフェシー』を待つ歓声と熱気に溢れている。
 弥生は唄っているリナの姿も好きだったが、それと同様にライブ直前の彼女も愛おしく感じていた。
 これから立つステージが楽しみで仕方がないとばかりに目を輝かせ躍動している。
 心が晴れ渡った今ならリナの歌に負けない演奏ができるだろう。
 きっと今日も素晴らしいステージになる。するんだ。
 相棒のギターを手に弥生は眩しくライトに照らされたステージへと飛び出した。



act.Vへ つづく
 







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