果てしなく続く青い空 −特別な愛の詩−   act.T




 ―――これはシビュラにより引き裂かれた二人の物語である。





「ねえ、わたしたち……より戻せないかな?」
 思いがけず再会した女性の不意の話に弥生は戸惑った。 背負っている愛用のギターの肩バンドを握る手に力がこもる。
 女性は助っ人ギタリストとしてステージに出演していた弥生がライブハウスから出てくるのをずっと待っていたようだ。 寒さで露出している肌が白くなっている。
 女性はすがるような目で弥生を見ていた。
「ごめんなさい。それはできないわ」
 ライブが跳ねた直後で、まだ昂揚している気持ちを抑えながら冷静に弥生は答えた。
 女性は少し茶色掛かった腰まであるロングヘアーをしていて、その毛先を指先でいじっている。
 そういえばこれは彼女の癖だったな、と弥生は思い出す。
 別れた原因は何だっただろう。そもそも付き合い始めたきっかけは何だっただろう。
 女性は俯いたまままだ髪をいじっている。
「どうしても、ダメ?わたし、あなたのことが忘れられなくて」
「あたし、今、付き合っている人がいるから。だから無理よ」
 弥生が理由を説明しようが諦めきれない女性は、今にも零れ落ちそうな涙を溜めた瞳で見つめ食い下がってくる。
 女の子の涙は見たくない。かといって無下に手を差し伸べるわけにもいかない。
「うぅ、さっぶ」
 ギターを背にライブハウスから出てきたリナは室内と外気との温度差の激しさに身を縮めた。
「弥生、お待たせ。たまには打ち上げに顔を出せって捕まっちゃってさ。ん?誰、この人?弥生のファン?」
 リナは弥生の横に立つと女性を一瞥した。
「あ……えっと」
 元カノ、ちょっとした知り合い。どう言うべきか逡巡していたら、答えを口にする前にその唇を塞ぐようにリナに口付けをされた。
「寒いし、早く帰ろ」
 リナは弥生に腕を絡め温め合うように寄り添うと、呆然と佇む女性をその場に残し帰路に着いた。



「何かあったの?」
 整理整頓され特段と飾り気のない弥生の一人暮らしをしている部屋のセミダブルベッドの上で、リナと向かい合って座っていた。
「どうして?」
 弥生はリナの問いに答えず更に質問で返した。
 リナは弥生の髪を解くと、慣れた手つきで服を一枚また一枚と剥ぎ取っていき次々とベッドの下に投げ落としていく。
「今日の弥生のギター、いけてなかったから」
 やはりリナの耳には誤魔化しが利かなかったか。
 シビュラ公認芸術家でバンド『アマルガム』のギタリストである弥生は、 リナがボーカル兼ギターを務めるバンド『プロフェシー』の助っ人として演奏することが度々あった。 リナから直接依頼され弥生もそれを待つように快く引き受けていた。非公認であるがため『プロフェシー』が出演するのは小さなライブハウスばかりだ。 そのため金銭的にも厳しいことを承知していたため、弥生は無償で演奏を引き受けている。
 今でも初めてリナのボーカルに合わせてギターを弾いた日のことを鮮明に覚えていた。強烈に体と心に刻み付けられるように記憶に残っている。 演奏後も昂揚感が鎮まらずその晩は眠られない程だった。こんな気持ちに襲われたのはずっとギターを弾き続けてきたけれど初めてだった。
 そして今日も助っ人として『プロフェシー』でギターを弾いたが、その演奏が酷かったことは弥生自身も実感していた。 ちぐはぐな演奏をした今日は、その昂揚感は弥生のギターと同じで微妙だった。
「この前のサイコ=パス検診の結果がよくなくて」
 ある特定の職業に従事するものには定期的にサイコ=パス検診が義務付けられていた。公認芸術家もそのひとつである。 心を揺さぶる芸術に触れる者は潜在犯落ちする可能性が他の職業よりも高いからだ。そしてまたその影響力も考慮されてのことである。
 弥生は二ヶ月連続で犯罪係数が上昇していた。それも誤差と思える範囲ではない。だがストレスが影響する色相だけは限りなくクリアに近い状態ではあった。
 リナの影響であることは明白だった。二ヶ月という月日がそれを現している。ちょうどリナと付き合い始めた期間だった。
「なーんだ。そんなこと」
 けらけらと笑うリナの服と下着をすでに裸にされた弥生は脱がせていく。
「そんなことって。でもこのまま犯罪係数が上がり続けたら……」
 あなたと一緒にいられなくなる。言葉にすることが出来なかった。言ってしまえばいつか現実に起こってしまいそうで怖くなった。
 リナの腕が背中に回り、舌を絡ませ合うキスを交わすと弥生の思考は停止した。
 滑らかな肌に吸い寄せられるよう抱き合いながら瞼を閉じリナの唇と舌と体温を知覚すると、体の奥底に眠っていた野生が目覚めていく。
 唇を離し瞼を開けると、頬を上気させたリナがその瞳に色情を湛えていた。 それはまるで鏡であるかのごとく弥生もまた同じ目をしてリナを見つめている。
 再び唇を交わらせながらリナは弥生の上に重なりながらベッドに倒れこんだ。
 「好きよ、弥生」
 耳元で綺麗な旋律を奏でるかのように囁いたリナの声に弥生の全神経が奪われ陶酔する。 その耳に生温かい舌が進入してくるとまるで生き物であるかのよう音を立てて蠢いた。
 堪らずに熱い吐息が口からこぼれ、上に乗るリナの体に回した腕に力がこもった。
 マニキュアが塗られ綺麗に手入れされた爪をしているリナの指が、弥生の肩から鎖骨を伝い乳房の膨らみへと滑り降りてくる。 先端部を掠めると弥生の体がびくっと跳ねた。
 リナは指の腹でその突起を弄ぶ。口では耳を嬲りながら。
 やがてリナの唇が指と同じ道を辿るように舌を這わせながら乳房へと向かってくる。 その先にある快感を心待ちにするかのようにその部分は更に敏感になりより一層硬さを増す。 リナはその周辺を丹念に舐った後に、ようやく口に含んだ。
 全身に鋭い快感が駆け巡り、体がうねるのと同時に膣が収縮した。
「あぁ……リナ……」
 もっと快楽が欲しい。もっとあなたが欲しい、とばかりに名前を呼ぶ。
「弥生、うつぶせになって」
 乳房を存分に味わいつくしたリナに促されるまま体を動かし腹ばいになる。
 リナは今度は背中に舌を這わせた。弥生の体に先程までとは違う鈍いゆったりとした快楽が舌が這う度にもたらされた。
 背中、くびれた腰、豊かな肉の付いた尻と弥生は唾液まみれにされていく。
「リナ……触って」
 太もも辺りに舌を這わせていたリナに、顔だけを振り返らせて弥生は懇願する。
「ん、なーに?聞こえない」
 リナは体を起こすと背中に覆いかぶさり、弥生の唇を指でなぞった。
「なんて言ったの?」
 リナが耳元で囁く。口を開けようとした瞬間、リナの中指が口内にねじ込まれた。
 弥生はリナの指の第一関節辺りを甘噛みすると指先に舌を絡ませ夢中でしゃぶりついた。
「ねぇ、どうして欲しいって?」
 指を口から引き抜いてリナは答えを催促する。
「触って、舐めて、もっと気持ちよくして」
 リナが欲しくて堪らないとばかりに、その部分がよだれを垂らして待ちわびているのが自分自身でも分かるほどだった。
 リナはその答えに満足し目を細め笑顔を作ると、弥生の体を再び仰向けにさせた。
 指をへそから下へ滑らせ、リナは弥生の茂みに触れた。 そして更にその奥へと待ち焦がれた場所へといよいよ向かうかと思いきや、中心部を避けて足の付け根辺りをなぞった。
 リナは弥生の膝を立て、両足の間に体を滑り込ませた。
 リナの熱い視線が、彼女を求める部分に降り注がれる。羞恥と悦楽で気が狂いそうになる。足を閉じようにも力が入らない。
 恥ずかしいから見ないで。でももっと見て。
「もう、凄いことになってるね。弥生のここ」
 リナはその中心部に手を当てると左右に開けた。
「うわー、ぐちょぐちょだ」
 弥生の顔とその部分を見比べながらリナは言う。
「リナの所為なんだから」
「えー、うっそ。弥生がスケベなだけでしょ」
「違う、そんなんじゃない」
 リナは中心部を開けたまま顔を近づけると、充血してはち切れそうなクリトリスに息を吹きかけた。
 それだけで弥生は腰をうねらせた。
 とめどなく溢れてくる分泌液を舐め取るようにその入り口をリナの舌が這う。
「リナ……」
 気持ちいい。でももどかしい。切ない声で催促するように愛しい人の名前を口にした。
 知ってか知らずかリナの舌は入り口付近から動かない。
 弥生は少しでも触れて欲しい部分に近付けようと下半身をうねらせる。
「リナ、もうダメなの。お願いだから、ねぇ……」
 理性なんてものは貪欲なまでの欲情の前では何の役にも立たない。弥生の体はもっと強い刺激を、リナを求め続けている。
 股の間から頭を上げ、リナは濡れた口元を手で拭いながらにやにやと笑う。
「やっぱスケベじゃん」
 スケベでもなんでもいい。だから、だから……。
 弥生の表情を確認したリナはようやくクリトリスに舌を這わせる。 両手でクリトリスを押し出すように左右に広げゆっくりと舐めるように舌を動かした。
 体がびくんと跳ね、口から熱い息と共に喘ぎが漏れる。
 口で吸いながら舌で転がす。その動きが早まるに連れ快感も昂っていく。
 リナの舌がもたらす快楽がもっと欲しくて無意識のうちに腰を動かす。
「リナ、リナ、リナ」
 実際に声に出していたのか、心の中で叫んでいたのか分からない。昇り詰めそうな感覚まで辿り着き、シーツを握る手に力がこもる。
 もう少しで弾ける、と思った瞬間リナの口が離された。
「……リナ?」
 鈍い意識の中リナを見やると体を起こして唾液と弥生の分泌液にまみれた口元を手で拭いこちらを見下ろしている。 その瞳にはたっぷりと情欲を漂わせている。
 触れられていた部分はすでに限界まで膨張し、頭の芯と共にじんじん痺れていた。
「こっちにきて」
 手を引き弥生の体を起こすと、リナは足を閉じた状態で膝を伸ばして座った。 そして力なく動くことしか出来ない弥生をリナの両足を跨がせ膝立ちにさせた。
 リナは弥生の腰に腕を回すと、ちょうど顔の前に位置する乳房を口に含んだ。
 脱力していて態勢を維持するのも難しい弥生はリナの肩や頭にしがみつく。
 リナの左手が背後から弥生の尻を撫で回す。そして右手で前から熱く濡れそぼった中心部をなぞった。
 意識が飛んで崩れ落ちそうになるのをリナに必死でしがみつくことで保っていた。
 それでも体は更なる快楽を欲し、あてがわれた指を擦りつけるように腰を動かしリナを求める。
「いいよ。気持ちいいとこいっちゃっても」
 乳房から口を離したリナは弥生の顔を見ながら、腰のリズムにあわせ指を動かす。 その言葉に促されるようにリナの視線、リナの体温、リナの指、リナの全てを感じながら弥生は達した。
 完全に弛緩した弥生の体を支えきれず、リナと共にベッドに倒れこんだ。
 乱れた息が整い、意識がはっきりするまでリナはずっと頭を撫でてくれていた。
 首筋に顔を埋めリナの匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。いつものリナの香りと共に部屋中に充満している淫猥な匂いが再び弥生の体に焔を点ける。
 リナの体を挟んで両手をベッドに付け体を起こした。
 視線が絡み合う。
 リナは切実にすがるような潤んだ瞳で弥生を見ていた。
 さっきまであたしもこういう顔をしていたのだろう、と弥生は思いリナが何を求めているのかを悟った。 そしてその欲望に応じ存分に満たしてあげたいと思った。
 唇を重ね、舌を絡ませ合ってからリナの全身を愛撫していった。
 弥生はこれまで数人の女性と体の関係を持ったことがあった。けれどそれはリナとのセックスと全く違っていた。 リナを知ってからは今までしていた行為が、ただ体を動かしその先に快楽があるだけのものだったと気付かされた。 ただ体が満たされたらそれでいい。だから執拗なまでの愛撫などもしたこともされたこともなかった。 空腹を感じたら適当に食事をし満腹感を得る。その食欲が性欲なだっただけ。 食事の食材がなんであろうがいいように相手が誰であろうと大差なかった。 身も心も焦がれるような特別なセックスはリナだけだった。
 耳、首筋、腕、指、胸、お腹、足の指一本一本までリナの体の全てを愛しむように口と指で愛撫していった。 リナは時折くすぐったがったり身をよじって喘いだりと可愛い反応を見せた。
 リナの背中を見ると、先程弥生が付けた爪痕が赤く筋になり残っていた。 いくら爪の手入れをしているとは言え余程の力を込めていたのだろう。 次のライブの衣装で露呈しなければいいけど、と心配しながら舌先でなぞった。
 息遣いが荒くなり体温が上昇し汗ばんでいくのを感じながら、仰向けに寝そべるリナの上に覆いかぶさり体の中で一番熱く熟れた部分に指で触れた。
 切なげな吐息を漏らすリナにもっと快楽を与えたい欲求に駆られる。
 硬く膨張したクリトリスに触れると背中に回されたリナの腕に力がこもった。
 リナの呼吸に合わせるように弥生の息も荒くなる。そして耳元で愛しい人の名を呼んだ。それに呼応するようにリナも弥生の名前を口にする。
 あなたの全てが欲しい。
 そう思いながらとめどなく湧き出る分泌液を塞ぐかのように中指をリナの中に埋めた。
 リナはねっとりと執拗に纏わり付いてきた。指を動かすと、離すまいとばかりに締め付けてくる。
「ねえ、弥生。もっとして。もっと感じさせて。もっと弥生を感じたいの」
 薬指を加えてリナに埋め、その指の動きを大きくしていった。
 リナは体を悶えさせ弥生の右肩に激しく歯を立てた。
「つっ……」
 激痛が甘美な快楽に変わり全身を駆け巡る。
 そしてリナは弥生の腕の中で体を震わせて果てた。
 痙攣が完全に収まるのを待ってから指を引き抜き、べっとりと掌にまで纏わりついたリナの分泌液を舌を出して舐め取った。 脱力しているリナはその行動を息を整えながらぼんやりと見ている。
「弥生ってば、そんな目で私を見て、まだ足りないの?」
 足りない。まだ足りない。リナが欲しい。もっと欲しい。飽くなき欲望を視線に込めて弥生はリナを見つめた。 そしてリナの唇に貪りついた。噛み付かれた右肩がまだズキズキと痛む。
 リナの上に四つん這いになり口元へ自分の乳房を持っていく。
 あてがわれた果実を頬張るようにリナは口を開けて吸い付いた。 まるで重力により先端部に神経が集中しているかのごとく敏感になっており、弥生は体を仰け反らせて喘いだ。
 股の間に指を滑り込ませると、弥生の中へリナは一気に進入してきた。
「こうして欲しかったんでしょ」
 弥生は頷くかのように首を縦に振ってよがり声を上げた。
 リナが中で動くたび与えられる快楽に体の力が抜け、ついには自分の体を支えきれなくなり肘を付きくずおれる。 淫靡な音を立てながらリナは弥生の中を掻き回す。
 あっという間に快楽の波に呑まれ二度目の絶頂を迎えた。
 リナは指を挿入したまま弥生の体に添うように横になった。 そして弥生の顔をじっくり眺めながら満足げな笑みを浮かべゆっくりと指を引き抜いた。
「んんっ……」
 弥生の口からかすれた声が漏れる。
 本音を言うと指を挿入したままでいて欲しかった。 体の一部と化していたリナの指が急になくなる喪失感に弥生は苛まれたからだ。 まるでリナ自身を失ってしまったかのように。
 だから弥生はリナの首筋に顔を埋めその華奢な体を存在を確かめるかのように抱きしめた。肌から伝わる体温に安堵を覚え寂しさも霞んでいく。
 ライブを終えてからのセックスに体力の限界もあり、満たされた弥生は睡魔に襲われた。
 このまま抱き合ったまま眠りたい。
 だが弥生の思惑を遮るかのようにリナが話し始める。
「弥生はさ、いちいち気にし過ぎなのよ」
 眠気と倦怠感で頭が全く回転せず、リナの話の意図が読めなかった。
「犯罪係数とか色相だとか」
 察したリナが言葉を付け足す。
 重い瞼を開けるとリナの顔がすぐ傍にあった。じっとこちらを見ている。 その瞳は先程までとは打って変わり色欲の欠片もない真剣な眼差しだった。
「所詮そんなのってシビュラが勝手に決めてるだけじゃん」
 リナは容易く言ってのけるがシビュラが全ての時代だ。弥生にはシビュラに逆らってまで生きていく術を持ち合わせていない。
「そうかもしれないけど、でも……」
 徐々に覚醒してきた頭で言葉を探すが、リナにどう伝えたらいいのか分からない。
「シビュラが決めたことが全て正しいのだとすれば、公認に選ばれない私の歌は否定されちゃうわね」
 首を傾け呆れた表情をリナは浮かべる。
「リナの歌は最高よ」
 そう、それは弥生自身が誰よりもよく知っていることだった。
 弥生の答えに気分を良くしたのかリナは目を細めて笑った。
「私はね、あなたのエッチのテクじゃなくギターの腕に惚れたんだからね。だから今日みたいなダサい演奏もうやめてね」
「ごめんなさい」
「音楽ってね、音を楽しむって書くでしょ。だから楽しくなければそれはもう音楽じゃない」
 サイコ=パスを気にする余り楽しむことをすっかり忘れていたことに気付かされた。折角、リナと出会えて更なる音楽の楽しみを知ったというにも拘らず。
「ただ音を奏でるだけなら誰にだってできるわ。心のない機械にだってね。もしかしたらシビュラでもできる……のかな?」
 肩を竦めておどけるように笑いながらリナが言う。だけどもリナの言う通りだと弥生も思った。 ただ音を奏でるだけの機械のような演奏をしてはいけない。あたしはあたしだけの音を奏でなければいけない。
 リナは弥生の体の上に覆いかぶさるとキスをした。
「今夜は、まだ眠らせないよ」
「え?まだ……するの?」
 流石にもう体力が厳しかった。腕も足も口も体全部がだるかった。
 リナはふふふ、と声に出して笑う。
「ちーがうわよ。ねぇ、唄ってよ、弥生」
「唄う?あたしが?リナじゃなくて?」
「そう、あなたが唄うの」
「えー。厭よ、絶対に厭。あたし歌、下手だし」
 今すぐギターを弾けと言われればいくらでも弾くつもりだ。 だけど唄うことはいくら音楽が好きとは言え苦手意識が拭えないから厭だった。 ましてや至高の歌姫を前になど尚更だ。
 リナは弥生の返答を聞いているのかいないのか、ベッドから一旦離れるとアコースティックギターを手に戻ってきた。 アコギはリナの私物だった。弥生の部屋はリナの私物で溢れている。 付き合う月日が過ぎるたびにその数は増していき、リナがいつでもこの部屋に存在感を示していることが弥生に充足感を与えていた。 ある日、引き出しを開ければリナの服が入っていたり、いつの間にか自分の歯ブラシの横にリナのものが並んでいたり、 知らない内に玄関にリナの靴が置かれていたりと、気が付くと弥生のリナへの想いのように私物が増えていた。
「ほら、私がギター弾くから」
「厭よ。あ、ほら裸だし」
「何、今更恥ずかしがるのよ。お互い体の隅々まで知り尽くしてるくせに。それに別に他に誰もいないんだから気にすることないじゃん」
「じゃあ、あたしが弾くからリナが唄ってよ」
「ダーメ。今日は弥生が唄う人なの。はい、ボーカル『アマルガム』の六合塚弥生。ギター『プロフェシー』の滝崎リナ」
 リナは勝手に誰にともなく自己紹介を行うと、一人で手を叩いて拍手をした。
 なんとか逃れる術を探す弥生の体をリナは強引に腕を引っ張って起こした。 だがすでに弥生は諦めの境地に入っていた。 リナは一度言い出したことを簡単に取り下げてくれる人ではないことを重々知っているから。
「んー、どの曲にしようかな」
 ベッドの端に足を組んで座りアコギを構えたリナは考えを巡らせているのか首を傾け天井を見ている。
 その横で自信がない弥生は背中を丸めてうなだれるように座っている。 その姿にはミステリアスでクールでセクシーな『アマルガム』のギタリスト六合塚弥生の面影は全く見当たらない。
 リナの手に掛かれば弥生のそのクールな仮面が剥がされていく。身も心も丸裸に晒され素顔が暴かれる。セックスの時も日常においても。 リナだけに知られている。弥生にはそれが酷く心地よく感じた。
 リナの気が変わらないだろうか、と淡い期待を寄せて横を見やる。しかし期待は泡となり消えていく。
 うん、と頷いたリナはおもむろにアコギを弾き始めた。
 100年以上昔の二人が敬愛しているロックバンドの曲で、アコギとパーカッションのみで演奏されている軽快なナンバーだった。
「ハイッ!」
 唄いだしの冒頭部分で勢いよく声を出したリナに釣られるように弥生は歌いだす。
 やけくそだとばかりに唄ってみたが、やはり酷いものだった。自分はボーカルに致命的に向いていないことを改めて痛感させられる。
 唄うことを止めようかとリナに視線を送ると、一向に下手な歌には気にすることなく体でリズムを取りながら一心にアコギを弾いている。
 その姿に弥生の厭な気持ちが不思議と消えていく。
 サビの部分に差し掛かるとリナも共に大きな声で唄う。
「オーライ!」
 二番に入ると弥生も体でリズムを取りながら、時折リナと視線を交わらせ唄っていた。
 ベッドの上での観客のいない二人だけのステージは稚拙なもので綺麗な演奏ではなかった。 だがしかし二人が奏でたものは紛れもなく音楽であった。



act.Uへ つづく
 







戻る