虚ろな現実 acte2



 シルヴァーナがシシリアへ向かった。
 その情報が入るや否や、ミレイユは出発の準備を始めた。
 シシリアへ行くために・・・。
 ベッドの上にトランクを開け、荷物を詰め込んでいる。
 その背中にあの晩と同じ質問をした。
 「ミレイユ、シルヴァーナはあなたの顔を見たのかも・・・」
 「分からないって、言ったでしょ!」
 言い終わる前に、やはり同じ答えが飛んできた。
 「もし見られていたなら、敵もそれなりの動きを見せたはずよ」
 ミレイユは手を休めない。
 シシリアへ早く行きたがっている、そんな風に見えた。
 「シシリアへ行くのは危ない。私には、あなたが・・・なんだか」
 戻ってこないような気がする・・・と、いう言葉を飲み込んだ。
 戻ってこない・・・自分でそう思いながら、いったいどこに戻るのだろうか?と疑問に感じた。
 答えはすぐに出た。
 私のところへだ。
 「あんたも早く仕度したら」
 明るいミレイユの声。
 私は行かないで欲しい・・・と、口にすることが出来なかった。

 ミレイユは銃を構えると、手が震えるようになっていた。
 標的が動かない空き缶であっても、ヒットできない。
 動かすと激痛が走る私の右腕。
 左だと右程の命中率は期待できない。
 そんな状態でシシリアへ行くということは、シルヴァーナに殺されに行くようなものである。
 ミレイユはシルヴァーナに会いたがっている・・・そう思った。
 シルヴァーナに会ったあの晩以来、ミレイユは私のベッドに入ってくることはなかった。

 シシリアに到着し、ホテルに荷物を置くとすぐに、ミレイユは出かけてくると言った。
 私は、今ミレイユを一人にしたくなかったので、ついて行くことにした。
 向かった先は、海に面した岬だった。
 足下には青い草が生い茂り、黄色い可憐な花が潮風に揺られている。
 ミレイユは海に向かって立ち、じっとその花を見下ろしていた。
 微動だにせず、感慨にふけている。
 きっと私の存在など感じてはいない。
 私はいたたまれなくなり、その背中に呼びかけた。
 「先にホテルに帰ってて・・・」
 柔らかい口調だったが、その言葉は拒絶を意味していた。
 イッショニイテハイケナイノ・・・。
 「・・・分かった」
 いてもいないのと同じ。
 だったら帰ろう。
 ホテルでいつものミレイユが帰ってくるのを待っていよう。
 私のことを見てくれるミレイユを・・・。
 そう思い、ミレイユに背を向け歩き出した。
 ふと足をとめて振り返り、もう一度ミレイユを見た。
 さっきと寸分も変わらず、同じ姿勢でいる。
 その後ろ姿が、消えてなくなってしまいそうな程、儚く見えた。
 今ここで別れたら、もう二度と会えない・・・なぜかそう思った。
 私は・・・・・ミレイユ、あなたを失いたくない。
 帰る振りをして、私は影から様子を窺うことにした。
 五分くらい過ぎただろうか。
 ようやくミレイユが動きだした。
 私は気付かれないように、後をつけた。
 人を平然と殺せるというのに、なぜかその行為には罪悪感を感じた。
 ミレイユは岬の側の丘に建っている廃屋に入って行った。
 私が入ろうか思案していると、テラスに出てきた。
 慌てて死角に入る。
 木の茂みに身を潜め、ミレイユを諦視する。
 手すりに手をかけ、潮の香りを胸一杯に吸い込むと、穏やかな顔を見せた。
 が・・・それも束の間、驚愕に変わる。
 「ここへ来ると思っていた」
 冷たく響く声。
 私の位置からは姿は見えないが、それがシルヴァーナだと思った。
 「は・・・、あぁ・・・」
 声の主の姿を見たミレイユが戦慄する。
 誰であるか確信した。
 シルヴァーナがテラスに姿を現した。
 私は銃を取り出し、相手の出方次第では撃つつもりでいた。
 「コルシカの娘・・・ミレイユ。ミレイユ・ブーケ」
 「やっぱり見られていたのね・・・」
 「月の光は無慈悲。隠れたるものを暴き出す」
 「そんな・・・。私の顔を憶えていたなんて。一度・・・そう、たった一度会っただけなのに」
 「あなたはあの時も震えていた・・・」
 シルヴァーナがミレイユの元へ一歩一歩近付いていく。
 私は右腕の痛みに耐えながら銃を構えた。
 「そのあなたが、ノワールという名の刃となって私の前に・・・」
 ミレイユは動かない。
 シルヴァーナが間近にきても。
 いや、動けないのかもしれない。
 照準をシルヴァーナに合わせた。
 が、撃つことをためらった。
 今、目の前で展開されている局面が、理解できなかったからだ。
 冷静に情報を処理するように努める。
 ミレイユの唇が、シルヴァーナの唇と交わっている。
 どう見ても、二人は口付けを交わしていた。
 それでも、ミレイユは動かない。
 なぜ・・・?
 ミレイユは拒まない。
 どうして・・・?
 ますます頭が混乱する。
 でも、一つだけはっきりとしていることがある。
 今、シルヴァーナをやらなければ、本当にミレイユは戻ってこなくなるだろうということ。
 トリガーにかけている指に力を込めるが、手が震える。
 怪我の痛みのせい・・・だけだろうか?
 トリガーを正に引こうとした瞬間、ミレイユの左手が動いた。
 握りしめると、シルヴァーナの顔めがけてとんでいく。
 だが、それは手首を掴まれ、容易く受け止められた。
 左・・・?
 ミレイユは右利きだった。
 けれどシルヴァーナに殴り掛かったのは左手。
 右手の状態は死角になっていて見えなかった。
 「死の接吻・・・」
 さっきまでシルヴァーナに塞がれていた、ミレイユの口が開いた。
 「・・・その意味は知っているでしょう」
 ミレイユはシルヴァーナを睨み付けている。
 シルヴァーナに掴まれた左手が震えているのは、力が込められているからだろうか?
 その手を振払い
 「明日の正午、リベオの僧院で待っている。契約書と共に・・・」
 と、言い残し、シルヴァーナは去っていった。
 その際、私に一瞥して。
 気付かれていた。
 「先に帰ったんじゃなかったの?」
 優しいミレイユの声。
 気付いていたのは、シルヴァーナだけではなかった。
 私は茂みから姿をだし、呟いた。
 「あれが・・・」
 ミレイユを翻弄し、震撼させる存在。
 「イントッカービレ」
 世界で最も凶暴な姫君、シルヴァーナ・グレオーネ。
 ミレイユは静かに頷いた。

 「つうっ・・・」
 思わず痛みに声をあげた。
 夜、シャワーを浴びた後、ベッドの上でミレイユが右腕の包帯を取り替えてくれていた。
 「そんなに痛むの?」
 心配そうに私の顔を覗き込んでくる。
 「大丈夫・・・。左手だってあるし」
 そうは言ったものの、本当は全然大丈夫ではなかった。
 ここで私が弱気なところを見せてしまうと、ミレイユの不安に拍車をかけてしまうだろう。
 包帯を巻き終えると、ミレイユはそっとその上に手を当ててきた。
 私の腕を見つめたまま、黙り込んでいる。
 憂いを帯びた顔をしている。
 明日はあのシルヴァーナと対決するのだ。
 気に病むのも当然だろう。
 私は今日初めてシルヴァーナを目にした。
 ミレイユ程ではないが、威厳とした態度に威圧された。
 でも、私達は負ける訳にはいかない。
 ミレイユと私の過去への巡礼・・・。
 まだ何もしてはいない。
 ミレイユは・・・ミレイユも、そのことは分かっているはず。
 けれど、今回どうしてもミレイユに闘志が欠けている気がしてならない。
 勝つ気がなければ、勝てるものも勝てなくなる。
 「ねぇ、ミレイユ。約束・・・覚えてるよね?」
 「え・・・」
 ミレイユと目が合わさる。
 「ええ、もちろん。すべてが分かった時、私があんたを殺す」
 微笑むミレイユに私は安堵した。

 翌日、シルヴァーナが待つ僧院へと向かった。
 目前に寂れた寺院が立ちはだかる。
 おそらくは、二人のマフィオース(一人はミレイユがやった)が、寺院内で待ち受けているだろう。
 私はミレイユを見た。
 ミレイユも私を見ている。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 お互い何も言わなかった。
 ミレイユの瞳の輝き、私はそれを信じて別れた。

 建物の内部は、陽が差し込まないため、ひんやりとしていた。
 周りに細心の注意を払いながら前進していく。
 ・・・・・いた!
 幸運なことに、敵は背中を向けている。
 こちらにまだ気付いていない。
 柱に身を潜め、左手で銃を構える。
 慣れていないため、狙いがなかなか定まらない。
 慎重に・・・なりすぎた。
 敵が振り返り銃を撃ってくる。
 柱の影に隠れ、応戦する。
 不意なチャンスを逃してしまったこともあり、焦ってしまった。
 焦りは隙を生む。
 気が付いた時には、もう一人が私に銃口を向け後方に立っていた。
 必死に身を翻し、間一髪のところでかわした・・・が、着地の際、不用意に左腕を打ちつけてしまった。
 状況が悪すぎる。
 一度身を引き、態勢を立て直す必要があると思った。
 気配を殺し、近くにあった階段を降りた。
 すると、地下水路に出た。
 敵はまだ追ってきている様子はない。
 左手を動かしてみた。
 余りの痛みに銃を落とす。
 握ろうとしても、まるで自分の手でないかのように、いうことがきかなかった。
 敵が階段を下ってくる気配がした。
 まだ痛む右手で銃を拾い、右腕に巻いてあった包帯をはずした。
 そして、それで銃と手を縛りつけた。
 完治していない右腕、どれだけ動いてくれるか分からない。
 それに、ミレイユとシルヴァーナのこともある。
 これ以上、時間とチャンスを無駄には出来ない。
 地下水路を奥まで進むと、貯水地に辿り着いた。
 ここだ、と思った。
 流れ落ちる水の影に身を潜め、機会を窺う。
 一撃で仕留めた。
 もう一人も、螺旋階段で地形を利用し片付けた。
 急いで、ミレイユの元へ向かった。

 窪地でシルヴァーナが短剣を手に、突進しているのが見えた。
 ミレイユは・・・ミレイユは銃を構えたまま硬直している!!
 「ミレイユー!!!」
 私の叫びは届かない。
 私は銃を構えた。
 お願い、動いて・・・私の右手、お願い!!
 ズドンッ!
 シルヴァーナの短剣が、ミレイユの腹部に刺さった・・・。
 ミレイユの手から銃がこぼれ落ちる。
 そして・・・地面に落下する剣先。
 間に合った。
 私の弾丸が短剣を折っていた。
 ミレイユに短剣は刺さっていない。
 そのことに気付いたシルヴァーナが、近くに転げているミレイユの銃に手をのばす。
 ミレイユもそれに乗じて、折れた剣先を拾う。
 シルヴァーナの方が速かった。
 銃口をミレイユに向ける。
 私はもう一度、銃を構えようとしたが、腕さえも上がらなくなっていた。
 今の私にできることは、祈ることだけだった。
 ミレイユ・・・ミレイユ・・・ミレイユ・・・。
 心の中で幾度も名前を呼んだ。
 シルヴァーナはなぜか、すぐにトリガーを引かなかった。
 ミレイユは、剣先を握りしめると、絶叫しながらシルヴァーナめがけて突きだした。
 シルヴァーナはゆっくりと倒れていく。
 それを、ただ呆然とみつめるミレイユ。
 私は階段を降り、二人の元へ歩み寄った。
 ミレイユは背を向けてしゃがみこみ、じっとうなだれている。
 倒れているシルヴァーナが、胸元から書類を取り出した。
 契約書だろう。
 「これを・・・なぜ、欲しがったの?」
 苦しそうなシルヴァーナの声。
 その声に、昨日のような冷たさを感じない。
 「私の両親が・・・」
 声を絞り出すようにして、ミレイユはそれだけ答えた。
 「フフッ、ノワールに、コルシカの娘に、今こそ冠を捧げましょう。受け取ってくれるわね、ミレイユ・・・。あ・・・あの・・ときの・・・よ・・うに・・・・・」
 契約書がシルヴァーナの手から落ちた。
 私はそれを拾い、ミレイユに差し出した。
 ミレイユは何の反応もしない。
 その背中が、泣いている・・・そう感じた。
 私は倒れているシルヴァーナに目を移した。
 とてもイントッカービレと呼称されている人物とは思えない程、穏やかな顔をしていた。
 ミレイユとシルヴァーナ、二人の間に入っていけない壁を感じた。
 ふと、ミレイユが立ち上がった。
 右手には折れた剣先が握りしめられている。
 「下品な殺し・・・あんたみたい」
 沈んでいく夕日を見つめ、私に目を合わせることなく呟いた。
 私はその背中に、二度呼びかけたが、何の返事もなかった。
 先に帰ることにした。
 契約書を手に窪地を後にする。
 階段を上りきったところで、振り返った。
 ミレイユが倒れているシルヴァーナに、覆い被さるようにしてキスをしていた。

 パリ・・・ミレイユのアパルトマンへ帰ってきた。
 もう何年もここを離れていた気がする。
 私は窓を開け、パリの街並を望観していた。
 ミレイユが、テーブル代わりに使っているビリヤード台の上に、あの契約書を広げ読み上げていく。
 「立会人、ソルダの男。マフィア発祥の瞬間、ソルダがそこに立ち会っていた。どうゆうことなの?ソルダは、そんな昔から存在していたということなの?」
 さっぱり分からない、といった口調だった。
 だけど、私にはミレイユの方が分からない。
 シシリアから持ち帰ったもの・・・契約書ともう一つあった。
 シルヴァーナの短剣の、折れた剣先。
 私は振り返りミレイユを見た。
 ミレイユは椅子に腰掛け、頭の後ろで手を組み、天井を虚ろな目で眺めていた。
 契約書の上で鎮座している、折れた剣先。
 そこから、忌々しい程シルヴァーナの息吹を感じた。
 私はミレイユの横に立つ。
 けれど、ミレイユは気付かない。
 紅いルージュのひかれたその唇に、私は自分のものを重ねた。


ミレイユ編 『沈みゆく太陽』へ

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