毎日がクリスマス 〜Joyeux Noël〜



 白い息をかじかんだ手に吹き掛けながら、雑踏の中にミレイユの姿を探した。
 夕刻ともあり人通りが多い。
 飾り立てられた街並と、鳴り響くジングルベルの音で今日が12月24日であることに気が付いた。
 仕事のため一月程パリを離れていて、昨日こちらに戻ってきたばかりだった。
 荘園での一件以来、不思議とソルダからの接触はなくなっていた。けれど、またいつ襲撃してくるとも限らないので決して気を緩めることはできない。
 それに私達を狙うものはソルダだけではないだろう。
 私達は数えきれない程の人の命を奪ってきた。ノワールに、私に恨みを抱いている人だっているに違いない。そう、かつてのミレイユのように。
 罪の意識から逃れることはできない。それが私に科せられた贖罪なのかもしれない・・・。
 もう一度、人込みの中に視線を巡らせた。まだ、ミレイユの姿は見つからない。
 今日はミレイユと外で食事をする約束をしていた。ミレイユは用事があるからと先に出かけて行き、今私が立っている広場の銅像の前が待ち合わせの場所だった。
 目の前にちょうど時計台があった。
 約束の時間まで、後20分。
 早く部屋を出過ぎてしまった。約束の時間より早く着いてしまうことは分かっていた。分かっていたけれども、そわそわして落ち着かず出てきてしまった。
 理由は分かっている。ミレイユに早く会いたいから。
 早く来たからといって早く会える訳でもない。それも分かっていた。
 それでも出てこずにはいられなかったのだ。たとえ寒い中で待つことになろうとも。
 身体を縮めて少しでも寒さが防げるようにしながら、行き交う人々に目を向けていた。
 「あっ!」
 遠くの方にミレイユの姿を発見した。そこだけ一際鮮やかに色付いて輝いている、ように私には見えた。
 「ミレイユー!!」
 まだ私に気付いていないようだったので手を上げて大きな声で呼ぶと、ミレイユはこちらに笑顔を向けてくれた。
 ミレイユが歩いてくるのが待切れなくて、私から駆け寄って行った。
 「どうしたの、早かったじゃない?」
 「うん。ちょっと早く出過ぎちゃって・・・。でも、ミレイユも早かったね」
 時間より早く来ていて良かったと思っていた。
 「ええ、用事が早く片付いたのよ」
 部屋を出る時はバッグひとつだったミレイユだが、今は大きな紙袋も提げていた。買い物でもしてきたのだろうか?
 「まだ早いけども、ここじゃ寒いから向こうに行って時間を潰しましょう」
 「うん」



 向かった先は高級ホテルだった。
 ここのレストランをミレイユが予約していた。なんでも牛フィレ肉のポワレがお勧めだとか。
 まだ時間があったので、ロビーでくつろいで待つことにした。
 「はい、これ。あたしからのクリスマスプレゼント」
 向いのソファーに座っているミレイユが、手にしていた紙袋を差し出してきた。良く見ると可愛いピンクのリボンが付いている。
 「もしかして、ミレイユ。今日、これ買いに行ってたの?」
 「そうよ」
 「ありがとう」
 紙袋を受け取って両手で抱え込んだ。
 「あっ!私・・・何も買ってない。ごめん、ミレイユ」
 「いいわよ、別に。どうせあんたのことだから、今日が何日か忘れてたんでしょう?」
 図星だった。
 今日がクリスマスイブだということに、今日気が付いた。
 ミレイユは別段怒っている様子はなかった。
 「・・・開けても、いい?」
 プレゼントの中身が気になって仕方がなかったので訊いてみた。
 「ええ、いいわよ」
 中を開けてみると・・・画板、絵の具、絵筆、画用紙が入っていた。
 「ミレイユ、これ・・・」
 「もう少し本格的に絵を描いてみたら?」
 最近、私は再び絵を描き始めていた。しばしばミレイユも一緒について来て、私が描くのを眺めていたりする。
 「でも、私、上手くないし・・・」
 「そう?あたしはあんたの絵って結構好きよ。まぁ、ちょっと独特だけど、そこが霧香らしいっていうか」
 ミレイユは真顔だった。本心から言ってくれているのだろう。
 「うん。ありがとう。大切に使うね」
 誰よりもミレイユに私の絵が好きだと言ってもらえたことが嬉しかった。これからも絵を描くことを続けていこう、そう思った。



 一流レストランということだけあって豪勢な料理だった。おいしいのはおいしいのだけれども、私はミレイユの作った料理の方が好きだった。口に合うからだろうか、それともミレイユが作るから?
 ワインを飲んだ所為で上気していた頬も外の冷たい空気に触れると急激に冷めた。
 少し散歩して帰りましょうとミレイユが言ったので、遠回りをして飾り付けられた街並を歩いていた。
 角を曲がりシャンゼリゼ大通りに出たところで、私は息を呑んだ。
 通りに並ぶ店鋪一帯、目前にそびえる凱旋門。星をも隠してしまう程のその見事なまでのイルミネーション。今まで見てきたものとは全く比にならない。
 「凄いでしょう。一度霧香に見せてあげたいって思ってたのよ」
 「うん。本当に凄いね」
 立ち並ぶ木々の一本一本まで光り輝いている。
 このイルミネーションを見るためだろうか。夜だというのに人通りが多い。
 凱旋門が立つエトワール広場へ向けて私達は歩いた。
 まるで別世界を歩いているような不思議な感覚だった。
 私は顔を右へ左へ動かし、各々店によって違うイルミネーションを楽しんで見ていた。
 「クリスマス休戦って知ってる?」
 おもむろにミレイユが訊いた。
 クリスマスと休戦は知っている。けれどふたつが重なった言葉は知らなかったので首を横に振った。
 「クリスマスになるとね、戦争も休みになるのよ」
 ミレイユは遥か遠くの方を見ているような目をしていた。私はその横顔を見つめながら黙って聞いていた。
 「そして兵士達は家族だったり、恋人だったり、大切な人とその日を過ごすの。戦場を離れてね」
 「毎日がクリスマスだったらいいのに・・・」
 心からそう思った。
 「そうね。もしそうだったら、この世界から戦争がなくなるのにね。まぁ、そう簡単にはいかないでしょうけど、たとえ1日や2日だけでも争いの手を休めることができるのなら、いつかはそんな日が来ることを信じたいわね」
 「うん、そうだけど・・・そうじゃなくて」
 口ごもった私にミレイユは、何?と訊いた。
 「毎日がクリスマスだったら、大切な人と毎日一緒に過ごせるなぁって・・・」
 広場に着きミレイユが歩みを止めたので、私も立ち止まった。
 大勢の人が凱旋門のイルミネーションを眺めている。皆幸せそうな顔をしている気がする。
 じゃあ訊くけど、と言ってミレイユは私の方へ顔を向けた。
 「霧香が毎日一緒に過ごしたいって思ってる大切な人って、誰?」
 ミレイユはにやにやと笑顔を浮かべていた。明らかに私の答えを知っているという顔。
 それでも、きちんと言葉にして伝えたかった。
 「ミレイユ。私の大切な人はミレイユだよ」
 ミレイユの顔がやさしい微笑みに変わった。
 「だったら毎日がクリスマスじゃなくったって、いつも一緒にいるじゃない」
 「うん。でも、これからもずっと一緒にいたい」
 少し間をおいて2回頷いてから、
 「あたしも、そう、思ってるわ」
 と、ゆっくりとミレイユが言った。それは、心に浸透してくるような優しい響きの声だった。
 ミレイユと過ごす初めてのクリスマス。
 クリスマスとはお互いの想いを確かめ合う日なのではないのだろうか。そう思えてきた。だからこそ、戦場で戦っている兵士達も大切な人の元へ帰って行くのだろう。
 クリスマスの日の意義が初めて分かった。
 クリスマスとはこんなにも温かい日だったのだ。
 ミレイユと出会わなければ一生知り得ることはなかっただろう。
 こんなにも素晴らしいクリスマスの夜を・・・。
 「ありがとう、ミレイユ」
 「どうしたのよ、急に」
 「ううん、何でもない」
 私の手にはミレイユからのプレゼントが握られていた。やはりこんな日に何もプレゼントができなかったことが気がかりだった。
 「本当にごめんね。プレゼント、なくて・・・」
 ミレイユが、ふふ、と笑った。
 「突然感謝したかと思ったら今度は謝罪?」
 そう言われてみれば可笑しいかもしれない。
 「別に気にしてないって言ったでしょう」
 「うん、そうだけど・・・」
 急にミレイユが私の正面に立った。
 「じゃあ、そんなに気になるのなら、ひとつ今欲しいものがあるから、それを頂戴」
 ひとつ、のところで人さし指を立てながらミレイユが言った。
 「うん、いいよ」
 ミレイユが欲しいもの。
 何でもプレゼントしてあげたい。けれど、今の所持金を考えると高価なものを言われると困る・・・。
 「キスして欲しい」
 「え?」
 予想外なものを要求されて、思わず聞き返してしまった。
 「キスして欲しいって言ったの。それをプレゼントとして受け取るわ」
 「今、ここで?」
 「そう。今、ここで」
 困惑した。
 キス自体はもう何度もしている。でも、ここは何といっても人目がある。恥ずかしい・・・。
 ミレイユはというと平然としていた。プレゼントを待っていると言わんばかりに、私の顔をじっと見ている。
 周囲に目を向けてみた。誰も私達のことを見ていない。それを確認してから一歩踏み出して、ミレイユと微かに身体が触れ合う距離まで近付いた。
 不必要なまでに胸が高鳴っていた。
 顎を上げて顔を近付けた。ミレイユはまだ、私の顔を見ている。
 私はきつく目をつぶった。そして更に顔を寄せると、柔らかいものが唇に触れた。
 すぐに離してもいいのだろうか?ミレイユの望むキスの時間はどのくらいなのだろう。でも余り長くしていると誰かに見られるかもしれない。
 葛藤の末、5つ数えてから唇を離した。
 ゆっくりと目を開けてミレイユの表情を窺うと、その顔には笑みがこぼれていた。プレゼントは満足してもらえたようだった。
 「メリークリスマス」
 と、ミレイユが言った。
 「メリークリスマス」
 同じ言葉を返した。
 「そろそろ、帰りましょうか」
 そう言ってミレイユは私の手を握った。私もその手を握り返す。
 私は眩いばかりに輝くイルミネーションに祈りを込めた。
 どうか、クリスマスの、今日のような日がずっとずっと続きますように。



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仕事の内容は省略させて頂きました。
そこは御想像にお任せしますということで・・・。

次は時間の流れが逆になりますが、最終話の直後の話を書く予定です。