新たなる旅
ため息が口から漏れた。
目の前にある扉を開けることができず、もう5分くらい立ち尽くしていた。
私の帰るべき場所は本当にここなのだろうか・・・。ここであって欲しいとは思うのだけれども、そう思い切れないわだかまるものが心の中に根を張るように巣くっていた。
私がミレイユの家族を殺した。
それはどうあがいても変えようがない事実であり、決して償い切れない罪だった。
ミレイユはそのことをどう思っているのだろうか。
入院中も毎日のようにお見舞いに来てくれていたけれども、いつも他愛のない話をするだけで、まるで避けているかのように一度もそのことに触れることはなかった。
何も思っていないことはないはず。ミレイユはずっとその犯人を追っていたのだ。それは私もよく知っていたことだった。
躊躇している理由はまだ他にもあった。
今のミレイユと私の間には一体何があるのだろうか・・・。
二人でひとつの名前のノワール。私達はそのノワールになることを拒否した。ではノワールでなくなった私達を繋ぐものとは何があるのだろうか。
ミレイユと出会った時に交わした約束も果たされないままに消滅してしまった。ミレイユは私が生きていることを望んでくれた。でも何故それを望んだのか私には分からなかった。
私がミレイユの家族を殺したというのに・・・。
分からないことだらけだった。いくら考えても堂々巡りになるだけで何も答えが出てこなかった。
もしかすると、この扉の向こうに答えが待っているのかもしれない。いつまでもここに立っていても何も分からないのだ。私はようやく扉を開ける決心が付いた。
鍵を開けて、大きく息をついた。
それからゆっくりと扉を開けた。
「おかえり」
温かい笑顔で迎えてくれる人がいた。それは私が大好きな人、ミレイユ。
私は増々混乱した。
どうしてミレイユはこんな風に私を出迎えてくれるのだろうか。
後ろ手で扉を閉じたまま、私はまたもや立ち尽くしてしまった。
どうしたらいいのか分からなくて、私は自分の足元を見つめていた。ここにいるのは場違いなのではないかと思えてきた。
「どうしたの?」
ミレイユが私の側へ歩み寄ってくる。
「具合でも、悪いの?」
私の顔を覗き込むようにして、ミレイユが訊いた。
私は首を横に振った。具合はどこも悪くないのだ。ただミレイユが分からないだけ。
「私は・・・」
両手を広げて、それを見つめた。
黒い手。数え切れない程の人の命を奪ってきた、血にまみれた手。
「私は、この手で・・・あなたの家族を・・・殺した。私が、殺したの・・・」
声が少し震えた。
私はミレイユの顔を見るのが恐くて、黒い手を見つめ続けた。
「憎しみは決して人を救いはしない」
少しの沈黙の後、ミレイユが言った。
顔を上げてミレイユを見ると、その表情には憎しみの欠片も存在していなかった。むしろそこにあるものは、私の不安を取り除いてくれるかのような穏やかな微笑みだった。
その言葉には憶えがあった。
ミレイユのお母さんだ。銃口を向けた私に、同じ言葉を言ったミレイユのお母さん。あの時にはその言葉の意味は分からなかった。でも、今は・・・。
ミレイユの手が私の手に被さった。温かい滑らかな手だった。
「あたしは何度も、この手に命を救われたわ」
そう言ってミレイユは私の手を握りしめた。
「ねぇ、ミレイユ。・・・私は、ここにいても、いいの?」
「いいも悪いも、ここはあんたの家でもあるのよ」
涙が溢れてきて、止まらなくなった。
人間は嬉しい時にも涙を流すものなのだ。私はそれを今正に実感した。
「あ・・・」
ミレイユが私の涙を唇で拭ってくれた。右目からこぼれ落ちるものも、左目からのも。
そして、その唇が私の唇と重なった。
余りにもごく自然な成りゆきに、私はその行動に違和感を感じなかった。
目を閉じると、より一層ミレイユを感じた。柔らかい唇の感触。温かい体温。
ゆっくりと唇が離れると、ミレイユは優しい眼差しで私を見つめて、
「さぁ、これからの話をしましょう」
と、言った。明るく高らかな声だった。
これから・・・。
これからも私はミレイユと一緒にいることができる。
ミレイユと私を繋ぐもの。それが何なのかは、やっぱり分からない。もしかすると何も存在しないのかもしれない。でも繋ぐものがなくても、一緒にいれる、二人でいれるものなのかもしれない。
「じゃあ、私、お茶入れるね」
「とびっきりおいしいのをお願いね」
「うん!」
結局、私の記憶はミレイユの家族を殺したことくらいしか戻らなかった。けれど、今があれば、ミレイユと共にいれる今があれば、記憶なんてもう戻らなくてもいい、そう思った。
完
最後まで目を通してくれた人。応援して下さった方。
本当にありがとうございました。
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さて次は何を書こうかな・・・といった具合にまだ決めていません。
ですが、まだまだノワールのお話を書いていく予定です。