遠き日の冠を貴女に



 妖しいまでに眩惑的な光を放つ満月の夜。
 室内に明かりを灯さず、窓から射し込む月の光だけでいた。
 月が雲に隠れると、暗闇に包み込まれる。
 もうすぐノワールという一流の殺し屋が、私の元へやってくる。
 待ち切れない程、楽しみだった。
 ノワールは、はたして私を殺すにたる人物なのか・・・。
 背後で人の気配がした。
 「来たか・・・」
 振り返ったが、闇に閉ざされていてその姿は視認できなかった。
 確かにそこに誰かいるのだが、一向に仕掛けてくる様子がない。
 窓から射し込む月の光が徐々にのびていくと、その姿が浮き彫りにされていった。
 銃を構えているその人物の顔が見えた時、私は驚愕した。
 そして、喜悦が込み上げてきた。
 まさか、彼女がノワールだったとは・・・。
 しかし、これからという時に邪魔が入った。
 私の部下が現れ、ノワールを襲撃した。
 ノワールは部下に発砲し、姿を消した。
 私の持つ契約書を、ノワールは欲していた。
 私はノワールの正体を知り、俄然契約書に興味が湧いた。
 それに目を通していると、残りの二人の部下がやって来た。
 契約書の内容は、私には不可解なものだった。
 「レディ・シルヴァーナ」
 部下の一人が声をかけてきたので、私は契約書からその男に視線を移した。
 「ノワールの顔は見ましたか?」
 見間違うはずがない。
 ノワールは確かに彼女だった。
 十数年前に一度、まだ幼い時に会っただけだったけれども、私は彼女のことを鮮明に憶えていた。
 あの純粋無垢な微笑みを忘れたことはない。
 「いや、見えなかった」
 部下に彼女のことを話したくなかったので、そう答えた。
 窓の外に視線を移した。
 今日は本当に綺麗な満月だ。
 私は胸の高鳴りを抑えることができなかった。

 翌日、私はシシリアへ向かった。
 目的は二つあった。
 契約書の内容を調べること。
 そしてもう一つ、彼女との決着を着けること。
 そのため彼女の耳に情報が届くように、公に行動をした。
 彼女が追ってくるだろうという確信はあった。
 もちろん契約書のこともあるが、きっと彼女は私に会いにくる。
 なによりも私が、彼女との再会を渇望していた。

 シシリアに着くと、この地の歴史に詳しい司祭に、契約書のことを尋ねに出向いた。
 結果、マフィアの起源を示すものだということが分かった。
 歴史的に価値があるものだそうだが、彼女がなぜこんなものを欲しがるのか不可解だった。
 帰りの車内で部下が、ノワールはヨーロッパ千年の闇だ、と語っていた。
 そのノワールを名乗り、彼女が私を殺しにやってくる。
 面白い、面白すぎる。
 私は十数年もこの時を待っていたのだ。

 彼女はここに来る、私はそう思い、初めて会った屋敷へ一人で向かった。
 主を失った建物は、廃屋と化していた。
 建物内は陽が全く射し込まず、暗闇の世界だった。
 人の気配はない。
 私は漆黒の闇の中で、壁にもたれ、目を閉ざし、ここで会ったまだ幼い彼女のことを思い返した。
 ふわふわのブロンドの巻き毛。
 光加減によっては緑にも見えるブルーアイズ。
 無防備なまでの笑顔を私にふりそそいでくれた彼女。
 私は彼女の手をとり、青い空の下、並んで駆けていった。
 そのようにずっと彼女と併行していきたいと思っていた。
 けれど彼女は私とは違った。
 私には恐れはない。
 しかし彼女は、私が少し牙を向けただけで震え上がってしまった。
 ・・・今のあなたはどうなの、ミレイユ。
 重苦しい音をたてて、ドアが開くのが聞こえた。
 目を閉じたまま息を潜めていると、私には気付かずに通り過ぎていった。
 私はその跡を追う。
 階段を上り、テラスへ。
 「ここへ来ると思っていた」
 私が声をかけると、ミレイユは驚いた顔で振り返り、そして怯えていた。
 改めて成長したミレイユの容姿を見据えた。
 しなやかな体つき。
 魅惑的な体のライン。
 少女は見事なまでに大人の女性に変身していた。
 「コルシカの娘・・・ミレイユ。ミレイユ・ブーケ」
 「やっぱり見られていたのね・・・」
 「月の光は無慈悲。隠れたるものを暴き出す」
 「そんな・・・私の顔を憶えていたなんて。一度・・・そう、たった一度会っただけなのに」
 私が憶えていたことが、ミレイユにはよほど意外だったようだ。
 確かに一度会っただけの人物を、普通ならばいちいち憶えていたりはしない。
 ミレイユだけは特別だった。
 生涯でただ一人、私が冠を授けた相手だからだ。
 けれどあの時のミレイユにはまだ受け取るには値しなかった。
 「あなたはあの時も震えていた・・・」
 私はミレイユの元へ歩み寄っていった。
 「そのあなたが、ノワールという名の刃となって私の前に・・・」
 戻ってきた。
 けど、あなたはまだ怯えるだけでしかないの?
 ミレイユが私を殺すことによって恐れを知らぬ存在になったのだというのを、私は見届けたかった。
 それが叶わぬのなら私がミレイユを殺す。
 この手で永遠の安らぎを与えてあげよう。
 どうやら私は愛しい人を手にかける運命にあるらしい。
 父と祖父も私はこの手で殺めた。
 二人とも憎かった訳ではない。
 むしろ、愛していた。
 けれど、私の道理に、掟に反したのだ。
 私にはそれを甘受することができない。
 だから殺した。
 そして次は・・・ミレイユ。
 可愛い私のミレイユ・・・。
 私はミレイユにキスをした。
 目を閉じる瞬間、ミレイユの驚いた顔が見えた。
 唇の感触をろくに堪能もせずに、舌を滑り込ませた。
 ミレイユはそれに応じてはこなかったが、拒む様子もなかった。
 私はゆっくりと口内を味わった。
 時折ミレイユの鼻から甘い息が漏れ、私の頬をくすぐった。
 左手でミレイユの右手をとり、指を絡ませ、握りしめた。
 ミレイユがそれに応じて握り返してくる。
 舌でミレイユのそれをなぶり、絡ませ、温度と質感を楽しんだ後、引っ張り出そうとした時だった。
 ミレイユが左手で殴りかかってきた。
 私は手首を掴みそれを受け止めた。
 突然ミレイユが拒んだ理由は明白だった。
 殺気だ。
 終止私達のやり取りを、木の茂みから盗み見していた人物が突如殺気を発したのだ。
 そしてその人物が、ミレイユの相棒だろうことも察しがついた。
 殺気は私に向けられていた。
 「死の接吻・・・」
 ミレイユの濡れて震えている唇から、意外な言葉が発せられた。
 本来死の接吻とは手を下した後に行うものであった。
 それにこんな濃厚なものはしない。
 どうやらミレイユは勘違いをしているらしい。
 これから殺すという相手にするものと思っているのだろう。
 ミレイユは私を睨み付けている。
 今のキスでミレイユに闘争心が培われたのなら、わざわざ否定するまでもないだろう。
 「・・・その意味は知っているでしょう」
 ミレイユと繋いでいた左手を離し、もう片方の掴んでいた手を振払った。
 「明日の正午、リベオの僧院で待っている。契約書と共に・・・」
 伝えるべきことは伝えたので、私は踵を返したが、途中ふと足を止め、いいところで邪魔をしてくれた人物に目をやった。
 姿を現すつもりはないらしい。
 願わくば、明日は邪魔しないでいて欲しいものだ。

 次の日、私は父を殺した場所でミレイユが来るのを待っていた。
 恐らく連れてくるだろうミレイユの相棒は、畏敬の目でしか私を見ないつまらない部下二人に任せることにした。
 約束の時間よりも随分と遅れてミレイユは現れた。
 陽も暮れかけ、空が血の色に染まっている。
 「・・・待っていた」
 ミレイユは銃を構え私の元へと階段を降りてきていた。
 降りきったところで私が一歩踏み出すと、ミレイユは怯んだ。
 二歩、三歩と歩み寄るがミレイユは怯えたままだった。
 「シシリアの格言にある。報復こそ最高の許しなり」
 私は手にしていた短剣を鞘から抜き、ミレイユめがけて突進した。
 さぁ、撃ちなさい、ミレイユ、私を!!
 けれどミレイユのトリガーは引かれることはなく、私の短剣が彼女の腹部に刺さった。
 期待していた私が愚かだったのか・・・、最後までミレイユは私に一矢報いることもなかった。
 ミレイユの手から銃がこぼれ落ちていった。
 また、私は愛する人を一人殺めてしまった。
 充足感と悲愴感が胸に込み上げてくる。
 金属が地面に叩き付けられる音が耳に響いた。
 嫌な予感がし、短剣を引き抜いてみると、先が折れていてミレイユには刺さっていなかった。
 私とほぼ同時にミレイユもそのことに気付いたようだった。
 即座に身を翻し、近くに落下していたミレイユの銃を拾い、構えた。
 ミレイユは私の短剣の折れた剣先を握っていた。
 私は銃を握るのが初めてだった。
 トリガーを引けば銃弾がでることくらいは知っている。
 けれど不馴れな感覚と重みが私を戸惑わせた。
 その隙に乗じ、ミレイユはあらん限りの声をあげながら、私の胸に剣先を突き立てた。
 もはや訪れることはないと思っていたこの瞬間が、ついにやってきた。
 倒れ様、私は自分でも頬の筋肉が弛んでいくのが分かった。
 こんなにも満ち足りた気持ちになったのは、幼き日にミレイユと共に過ごしたあの時以来のことだった。
 地面に横たわり、意識が遠のいていくのを必死で堪えた。
 まだミレイユに伝えたい言葉がある。
 ミレイユは私に背を向けて、肩を落とし座り込んでいる。
 まさか私を刺したことを後悔しているのだろうか・・・?
 私は胸元から契約書を取り出した。
 「これを・・・なぜ欲しがったの?」
 努めて明るい口調で言ったつもりだったが、苦痛のため歪んだものになってしまった。
 「私の両親が・・・」
 ミレイユの答えはそれだけだった。
 けれどそんなことは、もうどうでもよかった。
 詳しく訊いている時間は、私にはもう残されていそうもない。
 「フフッ、ノワールに、コルシカの娘に、今こそ冠を捧げましょう」
 できることならもう一度だけ、ミレイユのあの笑顔が見たかった。
 「受け取ってくれるわね、ミレイユ。あ・・・あの・・・ときの・・・よ・・うに・・・・・」

 気が付くと私は、黄色い花が咲き誇るあの岬に一人で立っていた。
 誰かが手を振りこちらに駆けてくるのが見えた。
 それは、幼き日のミレイユだった。
 勢いよくミレイユが私の胸に飛び込んできたので、支えきれずに倒れこんだ。
 驚いて、体に乗っているミレイユを見ると、大人の現在の姿になっていた。
 突然降り出した雨が、私の頬を濡らす。
 それは、全てを包み込むようなやさしい霧雨。
 「シルヴァーナ」
 ミレイユからの呼び掛けに、私は笑顔を返した。
 こぼれんばかりの笑顔をミレイユは浮かべている。
 あぁ、これは夢だ・・・。
 こんな夢を見ながら死んでいける私は、なんて幸せなんだろう・・・。



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