リャン・チーの憂鬱な日々 その2


 大沢マリアの弟子の日々が続いている。
 そしてそれはリャン・チーにとって憂鬱な日々が続いているということでもあった。

 タダノブカ。タダノブカ。タダノブカ。
 リャンの頭の中はアルファルドに言われたその言葉がまだ残っていた。
 忠信か?
 いえ、違います。私はリャンです。
 多田信香。
 姉さまは私に日本名を与えてくださったんだわ。
 リャンにとって現実逃避はお手のものだった。『ただの部下』がもうすっかり意味の違うものと化している。
 だけどリャンの憂鬱は続いていた。
 私の憧れだった姉さまがあの触覚女の所為で変わってしまった。
 視線の先にいるマリアにリャンは殺意を覚えていた。
 いつの間にかカナンからマリアに憎悪の対象が移っている。
 手にしていた長刀を抜き、気配を殺してマリアに近づこうとした時だった。
「リャン、そこで何をしている?」
「ね、姉さま!?」
「まさかとは思うが、私の愛弟子に何かしようとしてたんじゃないだろうな」
 ジロリとにらむアルファルドにリャンは慌てて言い訳を考える。
「ま、まさかそんなこと……。私はただ、そう!そうです、爪のお手入れをしておこうと思って。姉さまといつでもそうなってもいいように。ふふ」
 リャンは長刀で爪を切ろうとする……が、そんなことは到底無謀なのは分かりきっている。
 案の定、リャンは親指をざっくりと切った。
「いったーい!姉さま、血が、血が!」
 アルファルドはすでにマリアの側に行っており、リャンのことは眼中になかった。
 虚しくリャンの親指からは血がだらだらと流れ落ちていた。
 そういえばさっきあの触覚女のことを姉さまは愛弟子と言っていたのではなかったか、とリャンは思い出す。
 いつの間にか弟子に『愛』がついている。
 早くあの触覚女を殺って姉さまの『愛』を奪わなくてはいけない。
 そんなことを考えているリャンに一向に気付くことなく、相変わらずマリアは弟子生活を満喫していた。
「ねぇ、今日はちょっと息抜きしませんか。……じゃーん」
 マリアはポケットから赤い毛糸を出してアルファルドに見せた。
「紐?」
「これは毛糸です。あやとりって遊びができるんですよ。日本の遊びで……」
 喋りながらもマリアは器用に毛糸を指に絡めていく。
「はい、4段はしごのできあがり」
「ほおー」
 マリアの指でただの毛糸がはしごのようになりアルファルドは感心していた。
「やってみますか?」
 マリアから毛糸を受け取り説明を聞きながらアルファルドもやってみる。
「ここは人差し指を親指のところへ。あっ、そうじゃなくって」
「くっ」
 上手くできないアルファルドにマリアは教えるため顔を近付ける。必然的に体が密着してしまう。
「あの触覚女、姉さまにくっつきやがって!」
 リャンは怒りと羨望で我を忘れ、親指を噛む。すると傷口が余計に開き更に血が溢れ出した。
「次は小指に架かっているのを外して、ここのを取るんです」
 マリアの指示通り小指を動かそうとするが薬指まで動いてしまう。あまつさえ無駄に力が入りすぎて指がつりそうになっている。
「ふふふ、意外と不器用なんですね」
「なっ!」
「カナンもね最初は全然できなかったんですよ」
「カナン……」
 その言葉にアルファルドの眉毛がぴくりと反応する。
「でも必死になってやって、今では私と同じくらい、もしかしたらそれ以上にできるようになっちゃって。すごいですよね。カナンはエッフェル塔がお気に入りみたいなんですよ」
「カナン、あいつはできるのか。あいつにできて私ができないなどと……」
 独り言のようにアルファルドは呟いていた。
 赤い毛糸はアルファルドの手にぐちゃぐちゃに絡まっていた。
 姉さまが縛られている!!
 遠目から見ていたリャンにはそう見えた……らしい。
 勢いよく走ってきたリャンはアルファルドの手に絡まっていた毛糸を長刀で断ち切りマリアに言い放った。 「姉さまと緊縛プレイなんて100万年早いんじゃ!!私ですらまだしていないのにー!!!!」
「……き、緊縛??」
 マリアはリャンの言わんとしていることが分かっていないようであった。
「リャン、何故お前は私の邪魔をする」
「邪魔?私が姉さまの??」
 私が、姉さまとこの触覚女の邪魔だというの!?緊縛プレイの邪魔だというの!?
 ショックのあまりリャンは髪の色が抜け、放心状態に陥った。
 ふとガラスに映る自分の姿が目に映る。
「カナン!カナンがいる!!早くあの触覚女を連れて帰りやがれ!!」
 リャンはひとり喚いていた。
「ふー、気がそがれたな。今日はもうやめておこう」
「はい。じゃあ、3丁目の角に美味しいケーキ屋さんがあるんです。一緒に行きませんか?」

 この後、リャンによって街中のBB弾が買い占められたのは言うまでもない話。




つづく




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